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2009年06月12日

6・23平和巡礼と過越しの神秘〜2〜

カトリック新聞「南の光明」に掲載されました、ラサール神父の記事をご紹介します。

6・23平和巡礼と過越しの神秘〜2〜

しかしその知人は、続けてこうも言いました。「6・23は単なる『過去』のことを偲ぶだけではありません。毎年、6・23日を祈念するのは、「過越しの信仰」のように、将来に向けて、沖縄の心が甦るように祈るためではないでしょうか。」この話を通して私には6・23の慰霊の日の意義についてとても深い観点に気付かせてくれました。
 このように、振り返ってみることによって、今年の6・23巡礼で「十字架を通して栄光に入られた」というキリストの過越しの神秘を深く味わわせていただきました。そこで、皆さん、新しい希望に満たされ、沖縄平和づくりの原点に立ち向かっていきましょう。「主よ!沖縄の祈る心をお与え下さい!アーメン!」
※グシクとは、沖縄の民衆の魂(心)の源郷である。



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