てぃーだブログ › 君は人生の主人公か

【PR】

  

Posted by TI-DA at

2012年08月29日

AHNブライダルサービスホームページが完成!

AHNブライダルサービスのスタッフです。
AHNは、教会での結婚式を考えるおふたりに、
安心してアットホームな挙式をして欲しいという
気持ちから生まれたグループです。
ラサール神父様を中心に、教会の信者である
メンバーなどで構成されています。
グループの名称であるAHNとは、
A=(アット) H=(ホーム) N=(な) の頭文字です。
敷居が高いと思われがちなカトリック挙式ですが、
心を込めてサポート致します。

まずは、ホームページをご覧下さい!
AHNブライダルサービス
  



2011年12月19日

クリスマス

導入:ことばの説明
クリスマスというのは英語のCHRISTMASからきたことばですが、クリストス(CHRIST)とミサ(MASS)ということばを組み合わせたもので、キリストの生誕を祝うミサ礼拝というのが本来の意味です。でも、今私たちの身の回りにあふれているのは、クリスマスツリーやサンタクロースではないでしょうか?そこで、クリスマスにちなんだものについて由来を語っていただきました。

第1の話 クリスマスツリーについて
クリスマスツリーについてのいろんな説のうちで、いちばん納得のいくものを紹介しましょう。十二世紀ごろのヨーロッパでは、十二月の二十四日にアダムとイブの故事にちなんだ劇をするという風習が一般化していたそうです。舞台の中央には、「楽園の木」とよばれる常緑樹がおかれていました、宗教の教えをわかりよい劇にしてきたこの風習も、やがては軽薄な通俗化がひどくて上演が禁止されることになったのですが、それでも「楽園の木」だけは、思い出につながるものとして、この日がくると人々は各家庭で飾るようになりました。そのうちに、常緑樹が若々しい緑の絶えることのないことから、いつまでも果てることのない永遠のいのちの象徴となってきたのです、それと同時に、生命のともしびの意味を込めて、窓ぎわに装飾をこらしたローソク立てにともされたあかりが、やがて、この木の飾りにかわり、ついで、楽園の木につながる「木の実」としてリンゴの丸い球をそえることになってきました。福音書に語られているキリストの降誕を知らせた星、博士たちをみちびいた星がツリーのてっぺんに飾られるようになったのは、ごく自然のなりゆきと申せましょう。沖縄に来て、この地の風習にも親しむにつれて、宗教的起源を持ついろんな行事には、東も西も考え方に共通したたくさんの接点があるのを知らされてきましたが、クリスマスツリーについても同じことが言えると思います。

第2の話 サンタクロースについて
サンタクロースの由来は2つの違った伝統が結びついた面白い例です。一つの流れは、今でも南ドイツでおこなわれている、12月5日の聖ニコラスの記念日です。この日には特にこどもを大事にしたサン・ニコラスにちなんで、よいこたちに何か約束ごとをさせておくりものをあげる風習があり、この行事はすぐ隣のオランダでもさかんでした。これが、オランダから移民してきた人たちにそっくり受け継がれて、新大陸のアメリカ東部でにぎやかな祭りとして人目をひきました。だまってすまされないのは、他国からの移住民の子供たちです。自分たちもそんな祭りが欲しいと親たちにせがみました。ニューヨーク地方に居を定めたイギリス系の親たちは、聖人に由来するその呼び名はどうも気が進まないけれども、その趣旨には大いに賛成でしたので、名案を講じました。それが、第二の流れです。つまり宗教くさくない神話の中にある北の雪国に住む火の神で、白いひげをたくわえ、とてもひょうきんでゆかいで二匹のヤギに似た動物にひかれたソリに乗って走り回る、という言い伝えがあったのをそっくりとって、この行事に結びつけたが大成功をおさめたというわけです。いかにもイギリス人らしいやりかただと感心させられます。
ところで、当のイギリス本国では、サンタクロースが余り流行しすぎてキリスト教本来の精神が隠されるから、追放すべきという運動もあるそうです。おもしろいことですね。商人に利用されるだけで、家庭の喜びや子どもの夢が害されてしまうのなら困りものですけれども、そう目くじらたてることもありますまい。それよりも、かたちにはいろいろの風俗習慣がつぎつぎと加わってきても、その外形にまけないでむしろ、それに命を与える本来の精神を尊重することが大切ではないでしょうか。

第3の話し「サンタクロースは本当にいるか」 (奥村一郎著「断想」より)
もう百年近くも前のこと、ニューヨーク、サン新聞社に、次のような一少女のかわいい質問が舞い込んだ。名前はヴァジニア・オハンロン。「新聞社のおじさん、私の友だちにサンタクロースはいないという人がいます。ほんとうのことを教えて下さい。」月にも人間が行くようになった今の子供ならば、だれしもが同じような疑問を持つ事であろう。
 ところが、この問いに答えたサン新聞社の美しい、心のこもった文は、その後、毎年クリスマスの頃に掲載し続けられているという事である。ここでは、その一言だけあげてみる
もう百年近くも前のこと、ニューヨーク、サン新聞社に、次のような一少女のかわいい質問が舞い込んだ。名前はヴァジニア・オハンロン。「新聞社のおじさん、私の友だちにサンタクロースはいないという人がいます。ほんとうのことを教えて下さい。」月にも人間が行くようになった今の子供ならば、だれしもが同じような疑問を持つ事であろう。
 ところが、この問いに答えたサン新聞社の美しい、心のこもった文は、その後、毎年クリスマスの頃に掲載し続けられているという事である。ここでは、その一言だけあげてみる。 ヴァジニア、あなたのお友だちはまちがっています。その人たちは、目に見えるものしか信じないのです、サンタクロースは、この世に生きています。愛する心、互いにゆるし合う心があるところには、サンタクロースは、今も私たちの中に生きているのです。ヴァジニア、クリスマスの晩に、煙突という煙突を見張りして、サンタクロースが降りてこなかったとしても、サンタクロースがいないということにはなりません。サンタクロースは、親切な人の心、ヴァジニアのようなかわいい子どもの心の中に降りてくるものです。この世の中でも、もっとも実在が明らかなものは、子どもにも、大人にも、目に見えないものなのです……。 ヴァジニア、信仰、愛、詩、愛だけが天上の美を見たり、描く事ができるのです……。 ありがたいことに、サンタクロースはいるのです。永遠に生きているのです……。
以上は、ごく要点だけだが、この文に書かれたサンタクロースというのは、その起源となった聖ニコラスのことよりもほとんど「神」または「キリスト」と言い換えても良い。悲惨はできごとの多い、暗いこの世の中に降りてきて、生きる希望と、愛する喜びと、信仰の安らぎを与えてくれる神の子キリストの誕生というのは、ちょうど、狭く、暗い煙突を降りてきて、こどもたちが安らかに眠っているベッドに幾つものプレゼントを置いて行くサンタクロースに象徴されて、今日まで広く世界中に祝われるクリスマスとなったのであろう。
  


Posted by Lasalle at 10:00クリスマスについて

2011年01月12日

沖縄から学んだ50年

「沖縄から学んだ50年」
2009年4月26日付けのカトリック新聞より

 私が沖縄に来て半世紀が過ぎました。振り返ってみると、私は沖縄に「学ばせていただいたなー」と感じますし、「住まわせていただいている」という気持ちで過ごしてきたように思います。なぜそう感じるかというと、これからお話しするような素晴しい方々との出会いがあったからです。

 沖縄から学んだことは、まず「非暴力」です。沖縄には伊江島という小さな島があります。その島には自分の島を基地の島にしないために活動なさった(故)阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう)さんという方がいらっしゃいました。阿波根さんは米軍に対して、軽蔑をしたり非難したりという反対活動ではなくて、「あなたがたが何か食べたいのなら、いくらでもあげますよ、ただ基地としては、あなたたちの広いアメリカを使ったらどうですか?」という非暴力的なアプローチをなさいました。私はこの方は、まさに沖縄のガンジーと呼べる方だと思いました。

また私は沖縄で「ゆるしあう心」も学びました。沖縄には平和祈念堂があります。そこには大きな像があります。その製作者の(故)山田真山さんは「これは観音さまではなく慰霊像です」とおっしゃっていました。「国を超え宗派を越え、戦争で亡くなったすべての人々への癒やしと、これから戦争をしないという強い叫びを込めてあるのだ」と。この精神は、お互いに許しあう心がなければ平和を作ることができないとという聖書の言葉「父よ、彼らをゆるしてください」(ルカ23・34)にも通ずるな、と感じました。
またある日、私は崎山宗源老師という友人のお寺(興禅寺)に伺いました。そこで、カタツムリとスズメが向き合っている絵に出会いました。お寺に掲げられているくらいだから、これは老師の心を表す絵だろうと感じましたが、意味は「自分で感じ取ってください」と言われました。私はこの絵を見て、かつて大学院でアジア学を専攻したころの恩師で、現在は環境神学者として世界的に活躍しておられる、トマス・ベリー神父(Thomas Berry)の本(『The Great Work ザ・グレートワーク』)を思い出しました。その著書の中には、環境問題を考える上で適切な聖書の個所はと問われたときに、「地球の声を聞きなさい」「地球と対話すれば、自然が教えてくれる」と答えたとあります。なるほど、私たち人間は、聖書ももちろん大切ですが、自然、つまりカタツムリとスズメの声に耳を傾けることが大切なんじゃないかなーと思いついたのです。

私はこの50年間でこのような方々と出会い、沖縄から、相手を非難したり、暴力的になったりしなくても、ゆるし合うことで平和をつくることができる、と学びました。それから、小さな自然の声に耳を傾けることで環境を考える姿勢も学びました。

 おしまいに、沖縄の古くからの「神」概念について琉球大学名誉教授(故)仲松弥秀先生がおっしゃっていることを紹介したいと思います。「幼児が親の膝の上に座っている状態と同じく、村落民がウタキの神に抱かれ、膝に座って腰を当て、何等の不安を感ぜずに安心しきってよりかかっている状態・・・」(『神と村より』)この信仰心は、イザヤ書第六十六章十二から十三節の「お前たちはその乳をのみ、腕に抱かれ、膝の上であやされる。母がその子を慰めるように、わたしはおまえたちを慰める」と相通ずるところがあると思いませんか。
つまり、私は五十年前、キリストを「教え」にここへ来たつもりだったのですが、実はキリスト様はすでにいらっしゃっていました!そのことに気づかされたなーというのが、この半世紀を振り返った私の今の気持ちです。

  


Posted by Lasalle at 19:4650年の思い出

2009年06月12日

6・23平和巡礼と過越しの神秘〜2〜

カトリック新聞「南の光明」に掲載されました、ラサール神父の記事をご紹介します。

6・23平和巡礼と過越しの神秘〜2〜

しかしその知人は、続けてこうも言いました。「6・23は単なる『過去』のことを偲ぶだけではありません。毎年、6・23日を祈念するのは、「過越しの信仰」のように、将来に向けて、沖縄の心が甦るように祈るためではないでしょうか。」この話を通して私には6・23の慰霊の日の意義についてとても深い観点に気付かせてくれました。
 このように、振り返ってみることによって、今年の6・23巡礼で「十字架を通して栄光に入られた」というキリストの過越しの神秘を深く味わわせていただきました。そこで、皆さん、新しい希望に満たされ、沖縄平和づくりの原点に立ち向かっていきましょう。「主よ!沖縄の祈る心をお与え下さい!アーメン!」
※グシクとは、沖縄の民衆の魂(心)の源郷である。  


2009年06月09日

6・23平和巡礼と過越しの神秘〜1〜

カトリック新聞「南の光明」に掲載されました、ラサール神父の記事をご紹介します。

6・23平和巡礼と過越しの神秘〜1〜

 沖縄6・23慰霊の日に、那覇教区の主催で「那覇教区第23回平和巡礼」を今年も行います。これまでと同じように、沖縄戦で十字架の道行の形で戦争の犠牲者を偲びながら、現在も世界各地で苦しんでいる兄弟姉妹の救いを願うことを巡礼の目的としたいものです。
 さて、ここで立ち止まって、長年続いてきたこの巡礼の習慣を振り返ってみたいと思います。先日、沖縄文化史に詳しい知人と話し合う機会がありました。その話し合いの中で、知人に(故)山城神父さんから、戦争の体験談を聞かせてもらったときのことを話しました。40年前の夕暮れ、山城神父さんと一緒に、ミッションビーチの高台で、南部方面の夕焼けを眺めていました。私は「あぁ、なんて綺麗なんだー」と言いました。しかし、山城神父さんはこう言いました。「怖い!戦争当時にこの辺から見た南部が燃えている明かりにしか思えない。」
 この話を聞いて、私の知人は、「そうだ。6・23は戦争犠牲者の冥福を祈る日だけではない!島の心も死んだ日です。」と言いました。それから続けて、沖縄の「グスク」の意味も説明してくれました。「沖縄にはたくさんの『グスク』がありますが、ほかの日本などにある『城』と大きな違いがあります。それは各『グスク』には必ず『ウガンジュ』(祈る場所)があったのです。村や生活の中心であった『グスク』の中心は『祈るところ』でした!だから6・23は戦争犠牲者を慰霊する日だけではなく、沖縄のウガンジュ、つまり『祈る心』が焼き払われた日です。」と。  


2008年08月08日

50周年記念のお祝い・クララ年(案)の開始に寄せて

8月10日に50周年を迎える聖クララ与那原教会の
主任司祭であるラサール神父からのメッセージです。

╋ 愛と平和

与那原小教区・聖クララ聖堂の献堂式並びに聖クララ修道院落成式の50周年記念、
および聖クララ与那原小教区の誕生50周年記念のお祝いおめでとうございます!

50年前に、当時那覇教区の初代教区長、レイ司教が与那原地区に小教区を設置して、主任司祭の部屋や多目的集会のような部屋を準備しておきましたが、誕生したばかりの小教区の信仰生活の中心となる聖堂としては、レイ司教が同じ頃、与那原できた聖クララ修道院の聖クララ聖堂を合同で使用するようにと決めました。以来この50年間、聖マリアの汚れなき、み心の聖フランシスコ姉妹会のシスターたちと与那原教会の信者たちが互いに支えあい、成長してきました。
姉妹会はすでに1954年に東京で創立され、4年前に50周年記念のお祝いを行いました。しかし、沖縄で修道生活や宣教活動を実際に開始したのは小教区と同じ1958年となります。思えば、小教区の出発は、とても順調で素晴らしいものでした。すぐシスターたちによる子供の日曜学や大人の教会の教えの集まりなども充実しました。特に聖クララ聖堂でともに信仰生活をともに深めてきました。来る8月10日に私たちの保護の聖人聖クララを称え、長年見守って下さったことを神様に一緒に賛美と感謝を捧げましょう。


ところで、皆様、普段なら8月10日いう記念すべき日は、いろいろと準備をして迎えるはずでした。しかし、今回は入念な準備を整える以前に8月10日を迎えることになりました。
 もちろん、盛大な典礼のお祝いのミサを捧げたい思います。しかし、考えてみますと今日のようなお祝いは50年というひとつの締めくくりのような気分になりがちですが、上記の見出しに(案)がありますように、本来ならば記念日はあくまでも節目あり、ゴールではなく、新たなスタートではないでしょうか。私としては、記念日だけを祝うのではなく、これからの一年間を「クララ年」として過ごしていくことで、より信仰を深め、その意味を共にわかちあっていきたいと思います。
下記にヨハネ・パウロ2世の言葉を引用致しますが、聖クララの教えを考えるのにとても、意義深いものです。是非、その意味を理解し皆さんと共に深く味わっていきたいと思います。

[ヨハネ・パウロ2世の言葉]
1986年10月27日、アシジにおける諸宗教代表者たちの「世界祈りの集い」の席において、教皇ヨハネ・パウロ2世は権威をもって聖フランシスコと聖クララの教えを公布されました。
フランシスコとクララは「何物も私有せず」権利および所有物なしに生きるため、あの封建的で聖職者主義の、また修道院共同体との深い決裂を彼らの時代に遂行したことによって、確実な仕方で世俗の外に身を置いていました。二人とも神がおくられる愛の中で、聖霊において人となられたみことばに倣いながら、貧しいすべての人々に奉仕していたのです。
ヨハネ・パウロ2世は「これは、アシジにおける不朽の教えで、私たちには共感をそそる理想を生きた聖フランシスコの教えです。しかもそれは聖フランシスコに従った最初の女性、聖クララの教えでもあります。
この教えは、柔和・謙遜の理想、神への深い志向と、万物への奉仕の理想です。聖フランシスコは平和の人でした。そして聖クララは特別な仕方で祈りの女性でした。彼女の祈りにおける神との一致は、フランシスコと彼に従う人々を支えましたし、今日でも私たちを支えてくれます。フランシスコとクララは、神と、自分自身と、またこの世のすべての男女の人々と和合した平和の典型です。
この聖人と聖女は、男性も女性も皆が、彼らと同じ性格の力強さを備えて、私たちが共に歩むべき道の途上で進歩するために、兄弟姉妹に愛を抱くよう霊的に励ますことができます。
主の真の弟子である聖フランシスコと聖クララの模範に感動し、また共に過ごしたこの数日の体験によって確信を得た私たちは、偏見・憎しみ・敵意・邪推・妬みから魂を浄めるため、彼らの声をいっそう誠実に聞くよう良心をただすことに努めましょう。人類家族の一致に向かい、思いとことばによって、平和のために尽くす人であるよう努力致しましょう。
私は耳を傾けて下さる兄弟・姉妹の皆さんにこの同じこと(平和のために尽くす努力)を行うよう要請します。」  


2008年08月08日

聖クララについて

8月10日に聖クララ与那原カトリック教会は50周年を迎えます。
そこで、聖クララについてどのような聖人であったのかご紹介します。

1211年枝の祝日(3月28日)に、この高貴なイタリア人女性は、18歳の時、アシジの聖フランシスコの模範と教えに惹かれて、福音の至高の呼びかけに従って生きるため、その美しさ、財産、さまざまな才能に対する世のあらゆる期待に、永久の別れを告げました。そのことに気づいた身内の者が怒り狂い武装してクララの出家を止めようとしました。しかし、彼らはクララの強い意志に負けました。その時から42年の間、クララはアシジにあるサン・ダミアーノの小さな修道院において挫けることのない勇気をもって、若いときにやろうと心に決めたことを忠実に続けていました。今もなお、約1万7千人のクララ会の姉妹たちがクララの光に照らされ、神に向かって歩んでいるのです。
クララは1253年8月11日(60歳)「神よ、わたしを造って下さったあなたを賛美いたします」と創造主を称賛しながら帰天しました。
願わくは聖クララの取り次ぎに支えられてわたしたちも回りの人々に対して光を放つ者となることができますように。アーメン。  


2008年05月30日

聖クララ与那原カトリック教会・外観


聖クララ与那原カトリック教会の外観です。
丘の上にある教会は、歴史もあり建築物としても
貴重なものです。
眺めも素晴らしいですよ。  


2008年05月30日

聖クララ与那原カトリック教会の地図


聖クララ与那原カトリック教会の地図です。
お気軽にお越しください。  


2008年05月12日

ミサの時間のお知らせ

日曜日 午前9時から
平日  午前6時30分
金曜日 午後7時から

お問い合わせは、098-995-8923(ラサールまで)  


2008年04月18日

peace circle francisco

Peace and Love!
franciscans International Okinawa group will sponsor the 22nd annual Naha Diocese Peace Pligrimage on June 23rd (mon) of this year. Our group is known locally as the Peace Circle Francisco. We hope to publish more information in near future about our work for peace and justice and care of nature on Okinawa.
LaSalle Parsons ofm cap.  


2008年02月25日

ブログ開設

本日、ラサール師応援ブログ「君は人生の主人公か」を開設いたしました。晴れ
よろしくお願いいたします。
  


Posted by Lasalle at 19:27